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津地方裁判所 昭和57年(ワ)27号 判決 1983年9月30日

原告

岡田孝夫

被告

中川運輸株式会社

ほか一名

主文

一  被告中川運輸株式会社及び被告山中正美は、各自、原告に対し金四八六万四八六三円及び内金四四一万四八六三円に対する昭和五五年七月三日から、内金四五万円に対する昭和五八年九月三〇日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを六分し、その一を被告らの負担、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自、金三〇〇〇万円及びこれに対する昭和五五年七月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故及びその態様

被告山中正美(以下、被告山中という)は、昭和五五年七月三日午後四時四五分頃、普通貨物自動車(三11い六一九四号。以下、被告車という)を運転し、三重県鈴鹿市道伯町二二五八番地先県道を同市平田町方面から同市稲生町方面に向かつて進行する際、道路左側端から約五〇センチメートルのところを進行中の原告運転の原動機付自転車(鈴鹿市え七四七号。以下、原告車という)を追越そうとしたが、右県道は本件事故現場付近では片側幅員約二・六メートルの二車線で、はみ出し禁止の規制がなされ、かつ、道路自体左への曲折があるから、自車が全長約八・四五メートル、車幅約二・二メートルの大きな貨物トラツクで風圧圧迫感を持ち、かつ相当の内輪差が生じることを十分念頭に置き、このような場所ではおよそ追越しをすべきでなく、あえて追越すときには、原告車との間に十分な間隔をとり安全を確保してこれを追越すべきであつたのにこれを怠り、前記不適当な場所で、原告車との間に十分な間隔をとらずに追越した過失により、自車後部を原告車に接近させて原告車の進路を妨害し、自車を原告車に接触させ、仮に接触しなかつたとしても風圧圧迫感ないし恐怖感によつて原告をしてとつさに左へ急転把を余儀なくさせ、もつて原告車を転倒させた。

2  被告らの責任

被告中川運輸株式会社(以下、被告会社という)は、本件事故当時、被告車を所有し、これを自己のため運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条に基づき本件事故によつて原告が受けた人的損害を賠償する責任がある。

被告山中は前記過失によつて本件事故を惹起させたものであるから、民法七〇九条に基づき本件事故によつて原告が受けた損害を賠償する責任がある。

3  損害

本件事故により、原告は頭部外傷・顔面挫創・背部打撲傷・頸髄損傷・第Ⅲ頸椎脱臼・右前腕打撲挫創の傷害を受け、昭和五五年七月三日(事故日)から現在に至るまで常時看護を要する状態のまま、鈴鹿市長谷川外科に入院、治療を受けているが、頸髄損傷・頭部外傷により、受傷後約一ケ月から性格・感情に異常が生じ、かつ四肢の運動・知覚の障害及び脳障害を起こし、現在自動車損害賠償保障法施行令別表後遺障害級等第一級三号相当の後遺障害を残している(なお、症状固定は本件事故発生から五二九日目の昭和五六年一二月一三日)。右傷害及び後遺障害により原告に生じた損害金は次のとおりである。

(一) 症状固定時までの財産的損害

(1) 入院雑費 五二万九〇〇〇円

一日一〇〇〇円として五二九日分

(2) 入院付添費 一五八万七〇〇〇円

一日三〇〇〇円として五二九日分

(3) 入院休業損害 三五一万二五六〇円

原告は事故当時六七歳であつた。昭和五四年賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、学歴計の年齢階級別平均給与額(含臨時給与)を一・〇六七四倍したもの(以下、単に賃金センサスという)に基づけば、六七歳男子労働者平均賃金の月額は一九万九二〇〇円であるから、原告の右五二九日間の休業損害は、左の算式のとおり、三五一万二五六〇円と算定されるべきである。

一九万九二〇〇円×1/30×五二九=三五一万二五六〇円

(二) 後遺障害による財産的損害

(1) 介護料 一七九七万四九五一円

介護には原告の妻岡田千代子(昭和五八年二月当時六五歳)があたつているが、原告は同女の全一日の完全な介護を必要とする。賃金センサスの六五歳女子労働者平均賃金の月額は一四万三九〇〇円である。原告は症状固定時六八歳で、その平均余命は約一二年であり、一二年に対応するホフマン係数は一〇・四〇九四である。従つて、左の算式のとおり、終生介護料は一七九七万四九五一円と算定される。

一四万三九〇〇円×一二×一〇・四〇九四=一七九七万四九五一円

(2) 逸失利益 一二二七万一三五七円

原告は、症状固定時六八歳で、その平均余命の二分の一の六年間は就労可能であつた。六年に対応するホフマン係数は五・一三三六である。原告は前記後遺障害により、その労働能力の一〇〇パーセントを喪失した。従つて、その逸失利益は、左の算定のとおり、一二二七万一三五七円と算定されるべきである。

一九万九二〇〇円×一二×五・一三三六=一二二七万一三五七円

(三) 精神的損害 一三五〇万円

原告が、本件事故による受傷のため症状固定時までに被つた精神上の苦痛に対する慰藉料は三五〇万円、後遺障害に基づく精神上の苦痛に対する慰藉料は一〇〇〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用 二〇〇万円

(五) 損害の填補

原告は、自動車損害賠償責任保険から一一七九万円を受領した。

4  よつて、原告は被告ら各自に対し、前項(一)ないし(四)の損害金合計額から(五)の填補額を控除した残額三九五八万四八六八円のうち三〇〇〇万円及びこれに対する昭和五五年七月一二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、原告主張の日時・場所で原告運転の原告車が転倒したことは認めるが、その余の事実は否認する。本件事故の態様は左のとおりである。

被告山中は被告車を運転し、時速約三〇キロメートルで道路左端から約四〇~五〇センチメートルのところを走行していた原告車を追越すため、方向指示機を出し、クラクシヨンを鳴らしてから対向車線に車線を変更し、約三〇メートルの間原告車と並進した後、方向指示機を出し、被告車の後端約七~八メートルのところまで原告車が離れたことを左サイドミラーで確認した上で、徐々にハンドルを左に切り、緩かな弧を描いて元の走行車線に戻つたのである。このように、被告山中は幅員五・二米(片側二・六米)の対向車線を原告車と並進したのであるから、側溝から四〇~五〇糎を走行していた原告車との距離は少くとも二米あり、その後自車の後方の原告車を確認した上で徐々に元の走行車線に戻つたのであつて、原告車の進路を妨害したり、原告車に接触したりしていないことは明白である。

このことは、被告車の速度が時速約四〇キロメートルであつたのに対し、原告車の速度が時速約三〇キロメートルであつたから、両車の速度差により被告車が走行車線に戻るにつれて両車の距離がより大きくなり離れていくことからも容易に理解されることであるし、また被告車は全長約八・四メートルもあるトラツクであり、道路の幅員は片側約二・六メートルであるから、被告車が急激な角度で元の走行車線へ戻ることは不可能であることからも理解されるところである。なお、原告は道路の左曲折を強調するが、原告と被告が走行していた本件道路は僅か左へ緩やかにカーブしているにすぎず、ほぼ直線であつて、被告車に大きな内輪差が生じることはない。

原告は追越しの際の風圧迫圧感を主張するが、被追越車の運転者が危険を感じるのは追越される瞬間の右横接近の脅威であつて、追越し後の被追越車前方については両車の速度差から被追越車の運転者の感ずる危険感は些少であつて、追越車が元の走行車線に鋭角的に進入してこない限り、危険感はないのである。

結局、本件事故は、原告が六七歳という高齢で、しかもわずか二年前に単車の運転免許を取得したばかりという運転技術未熟の状態にあつたにもかかわらず、二輪車では危険な時速約三〇キロメートルという高速で側溝から約四〇~五〇センチメートルのところを走行したため、自らハンドル操作を誤つた過失により、側溝に脱輪して転倒したものであつて、被告車の進行とは関係のない全くの自損事故である。

なお、本件事故当日、警察官が自損事故処理し、被告山中及び目撃者中川和夫も自損事故である旨確認していること、交通事故証明書(乙第七号証)にも自損事故として記載されていること、被告山中に対する業務上過失被告事件につき無罪判決が宣告されていることからみても、本件事故は原告の自損事故であつて、被告山中の過失に起因するものでないことは明らかである。

2  請求原因2の事実のうち、被告会社が本件事故当時被告車を所有していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3  請求原因3の事実は知らない。

三  被告らの抗弁

1  被告会社の免責

被告山中及び被告会社代表者は被告車の運行に関し注意を怠らなかつたのであつて、本件事故は前記のとおり原告自らの過失に因つて発生したものであり、被告車には構造上の欠陥又は機能の障害はなかつたから、被告会社は自動車損害賠償保障法三条本文の責任を負担しない。

2  損害の填補

原告は、自動車損害賠償責任保険から、原告の自認する一一七九万円(請求原因3(五))の他に、一二〇万円を受領したし、被告らも原告に対し損害賠償金三〇万円を支払つた。

3  過失相殺

仮に、本件事故に関し被告山中になんらかの過失があつたとしても、原告の前記過失が本件事故の主たる原因であることは明らかであるから、原告に対する被告らの損害賠償金額を算定するに当たつては、原告の右過失を斟酌し、原告に生じた損害の八割ないし九割を過失相殺として減額し、残額を賠償金額とすべきである。そうすると、次に試算するとおり、仮に被告らが原告に対して損害賠償責任を負担するとしても、過失相殺及び損害填補金一三二九万円を控除すると、被告らの原告に対する損害賠償債務は残存していない。

(一) 原告に生じた損害(治療費を除く)

(1) 入院雑費 三一万七四〇〇円

一日六〇〇円として五二九日分

(2) 入院付添費 一五八万七〇〇〇円

一日三〇〇〇円として五二九日分

(3) 症状固定日までの休業損害 二〇六万六八〇三円

年金生活者であるため、年齢別平均給与額表一八歳を採用

117,200÷30×529=20,66,803

(4) 症状固定日までの慰藉料 二三六万円

(5) 後遺障害にかかる逸失利益 六一四万円

117,200×12×4.364≒6,140,000

(6) 後遺障害にかかる慰藉料 八六二万円

(7) 後遺障害にかかる介護料

500,000×12×7.9449=4,766,940円

(8) 以上損害金合計 二五八五万八一四三円

(二) 過失相殺として八割減額した残額 五一七万一六二八円

(三) 右五一七万一六二八円が被告らが原告に対し負担すべき損害賠償金となるが、前記のとおり、原告は合計一三二九万円の損害填補金を受領しているから、これを控除すると被告らの損害賠償債務は残存しないことは明らかである。

四  抗弁に対する原告の認否及び反論

1  抗弁1及び3の各事実は否認する。

2  本件事故は、道路側端より五〇センチメートル程度のところを走行していた原告が、電柱の前の側溝に落ちたものである。道路が事故現場では左に折れ曲がつているのであるから、道路側端より五〇センチのところを走つている原告車は、通常の走行をしていれば側溝に落ちるといつた進行経緯をとることは合理的な判断では考えられない。丁度その時被告車が原告車を追越しているのであるから、本件事故は、被告車の運行によつて生じたものと、まず推論すべきである。まして加えて、原告は被告車の追越しに恐怖を感じていたのであるから、(原告の「恐怖」をもつた旨の供述は一貫している)、本件事故は、被告車の運行によつて生じたものと推論すべきである。そうである以上、被告車の運行と本件事故との間に因果関係がないとするためには、逆に本件事故が専ら原告の一般的にありえない不合理な判断、あるいは運転に起因すること、及び被告車が追越し方法を誤らなかつたこと、の二点が立証されない限り自動車損害賠償保険法三条の損害賠償責任は否定できないというべきである。

3  しかし、原告は積協的に被告車の運転の誤りを主張する。

(一) まず原告の供述の経過についてみる。原告は、事故後間もない昭和五五年七月三〇日に作成された甲第一〇号証では、「トラツクには風圧はありました。しかし風圧で倒れたのではなく、トラツクに前方をふさがれ左側にさけた」と述べ、昭和五五年一〇月二三日作成の甲第一一号証では「息子が調べたところでは……接触したらしいのです……進路をふさがれたと思い……トラツクと接触したという記憶は残念ながらありません。」と供述している。甲第一号証によれば、原告の現在に至る感情変化、精神症状の悪化は甲第一〇号証作成以後、受傷後一か月半頃よりはじまり、進行しはじめたことがわかり、証人岡田千代子の証言から昭和五六年初め頃から急激に変化したことがわかる。したがつて、甲第一〇号証、甲第一一号証はほぼ正常状態における原告の供述であつたと考えられる。昭和五六年六月一日作成の乙第五号証は、原告の精神状態が悪化する途中で、六畳の部室で多人数により四〇分という長時間にわたつて調べられた経過から、供述は若干混乱する。明らかに原告の精神状態は悪い時期の供述であり、若干の混乱は当然前提にされねばならず、乙第一号証刑事判決の認定のごとく、供述に一貫性がないなどと速断ができるべきことがらではない。しかも、右乙第五号証においても当初は前記甲第一号証、第二号証の供述に副う「私の右横ヘトラツクが迫つてきました。……迫つてきたので轢かれると思いました。……はい塞がれました。後は覚えていない。……もう目の前でした」「すれすれにきた」と供述しているのであり、接触については、一部覚知したとの供述もあるが、主としてそう思うとの供述である。若干息子の推論と混乱しているものの、供述の真意は、前記の内容であることはたやすく看取することができる。してみると、原告の供述は乙第一号証刑事判決とは逆に一貫性がきわめて高いものと評価できる。加えて、ほとんど是非弁別能力がなくなりかけている現在においても、本件における原告本人尋問の結果は前記と一貫している。本件における原告の供述は、現在の原告の能力からすれば、作為などできるはずもないので、右供述は信用性が高く、真実か何であつたかは看取することができるのである。その供述によれば「すれすれにきたので……こわいと思いました。こわいと思つてからとばされたような気がします。それ以後のことは覚えていません。」「トラツクの一番後より前にいました。そのときに、こわいと思つた(トラツクに前をふさがれたような感じがしてこわかつたのか)……はいそうです。……(トラツクと身体がぶつかつたことは)わかりません。」してみると、原告の供述は一貫性があり、極めて信用力の高いものであることは明らかである。単に、文字面のみをとらえ、原告の時々における精神状態、発問の形、尋問の時間的経緯、回答経過を考えずしてなした乙第一号証刑事判決の認定は、刑事事件である特性を考えても不当である。

(二) 被告山中の供述について被告山中は本人尋問において重要な事実を供述した。原告代理人の再三にわたる質問に対し、ハンドルは一回左に切つた旨明確に供述する。この供述は被告車がどこで原告車の前に出たかを示すものである。すなわち、本件事故現場で道路は左に曲つており、しかも道路幅員は片側一車線であるから、ハンドルを一回左転把して左へよつたとすれば、曲折の左転把と、追越しから元の車線に戻るための左転把が同時期にされたものと考えざるをえない。事実、運転経験がある者であれば、簡単に理解できることであるが、曲折点を過ぎた地点でさらに元の車線にもどるためには、若干複雑微妙なハンドル操作を要することになる。同被告がゆるやかにハンドルを一回切つたと供述するのは、そのような事実がなかつたこと、すなわち曲折点附近で元の車線にもどつたことを有力に自ら述べているものである。再三の確認に対しても、同被告はそう断言したのであり、事実曲折点を過ぎてから戻ろうとしたとすれば、この点につきあいまいな態度で回答するはずがない。後にそのことを指摘されるや「あまりわからんです。」と今後は逃げの供述をする(四一項)。さらに、同被告の供述は混乱し、原告車を追越し元の車線に戻ろうとしたのは、三一、三二、四〇項では電柱の所からかなり向う側(おそらくは南側)にいるときであり、そのとき原告車は電柱より北六メートル位であると、又被告車が走行車線に戻ろうと思つたのは電柱より過ぎたところである、と言いわけするが、五二、五三、五四項においては、被告車が元の車線に戻ろうとしたとき、「原告車は被告車の後方二・三メートル(捜査段階の供述にもどる)、電柱からは六メートルの位置におり」となり、距離問題等から考え、ついに被告車は電柱の辺りから元の車線に戻ろうとしたということですかと問われ、「はい」と答え、ついに真実に近づいた答をなさざるを得なくなつている。そして、自らのなした追越し方法が危険であることを知つていたからこそ、これを裏付けるように認識上の問題として、「その電柱があつた事から、私も危険を感じたのです」、と述べ本音をもらしている。一般的な危険性の認識であるなら、わざわざ「電柱」とまで考えるのは不自然である。さらに、追随車の中川が原告の転倒をみて直ちにクラクシヨンを鳴らし同被告を停止させている。このことは、山中においても、被告車の追越が危険性をもつていたからそうしたと考えるのが一番自然であるし、さらに同被告はクラクシヨンを聞いて停止し、しかも直ちにバツクミラーで後方を確認するために、わざわざハンドルを右に切つているのであるから、自己のなした追越しの危険性の認識があつたことを端的に示すものとしてとらえるのが、これまた自然である。混乱する同被告の供述は、再び六一項で原告車が被告車のボデー後方六、七メートル、電柱から、二、三メートル位のところにいるとき、元の車線にもどろうとしたとなる。そして、甲三号証の二のとおりの現場状況であり、しかも事故後、現場を通つたことがない(一一項)など述べながら、実際の現場はほぼ直線に近いなどと言い訳の態度が目にあまる。捜査段階、刑事裁判、民事裁判と、その供述は変転し、一貫性を欠く。同被告は、元の車線に戻ろうとした時の原告車・被告車の距離につき、刑事裁判では七、八メートルと紋切り型に供述し、本件訴訟においては六、七メートルとやや値引きし、今度は六、七メートルを紋切り口上にしている。供述に作為が歴然と感じられると見るべきである。

(三) 本件事故はどのような経緯で発生したとみるべきであるか。被告車が対向車線に完全にはみ出し追越したが如き被告山中の供述は、前記の同被告の供述の信用性の問題から、う飲みすることはできない。本件事故現場の状況、道路幅員が片側二・六メートルであり、被告車の実幅員が二・二〇メートルで、これにミラーがついていることを考えれば、ぎりぎり対向車線右側を走つたなどとはとうてい考えられず、被告車はセンターラインをまたいで走つていたとみるべきである。そして、同被告がハンドル操作を一回でなしていること、原告車が電柱の六、七メートルで自車後部から二、三メートルの位置とする本音に近い同被告の供述(捜査段階の供述にあう)を考えると、道路曲折地点附近で道路の曲折に沿うハンドル操作と元の走行車線に戻る操作とが、同一機会になされたとみるべきである。原告の、被告車が右肩によつてきた旨の一貫した供述も、右推論と完全に合致する。

被告は、被告車が原告車を追越す間ずつと完全に対向車線を時速四〇キロメートルの定速で走行したが如き主張をなすが、別紙図面(一)及び甲第三号証の二から明らかなように、被告車の車幅は対向車線の幅員ぎりぎりいつぱいのものであり、しかも直進すれば同図面<×>の地点で道路外に逸脱すべき状態である。このような道路と車幅の関係からみると、被告車が電柱の付近まで完全に対向車線を走行したなどとは到底考えられることではない。すなわち、第一に、走行車線では原告車が路端から約五〇センチのところを走つていたというのであるから、被告車が完全に対向車線を走つていたとするなら、被告車は左側を約二メートルもあけているのに、右側は路端から僅か約二〇センチのところを走つたというのである。このように極端に右端に寄つて走るということは、いかにも不自然である。第二に、スピードをゆるめていないというのであるから、路端わずか二〇センチのところを四〇km/hの走行を続けたというのも、危険をともなうことで通常考えにくく不自然である。第三に、被告車が原告に危険を感じて左を大きくあけたとするなら、むしろスピードをゆるめるはずである。また、原告との関係において危険であるとの意識なら左側を監視するため右側の監視が減退するはずであり、右側路端より僅か二〇センチメートルのところをそのままスピードを緩めず走行することは、ますます危険であり、しかも先に曲折点があるのであるから、ますます異常な、しかも神技ともいうべき走行となり、不自然である。

第二回実況見分調書によると、被告車は同調書図面<4>の位置で元の走行車線に戻り始めたとするが、<4>の運転席とセンターラインとの距離は一・四メートルと表示されているから、<3>の車両の位置と、センターラインとの関係では、同位置となつている。すなわち、被告車はセンターラインをまたいで走つていたいたことを図示しているのである。右実況見分調書記載の距離に基づき道路と車両の関係を詳細に図示すると、別紙図面(二)のとおりとなるが、同図面で明らかなように、被告車が<4>の地点までハンドルを切つていないとすれば、直ちに被告車(被告車は青わくで表示)は、道路外に逸脱することとなる。まして、被告ら主張の如く完全に対向車線を走つていたとすれば、すでに道路外にいることになる(被告車は赤わくで表示)。右事実は被告山中の供述のいいかげんさをはつきりと示すものである。いずれにしろ、被告車が<4>まで直進してきたとすれば、徐々にハンドルを切るなどはありえず、直ちに左にハンドルを切らねばならない。この時点まで直進をしていたとすれば、乙第一号証刑事判決認定の如く徐々にハンドルを切るなどということは到底ありえないのであり、あわてて左にハンドルを切らざるをえないことになる。このように<4>の位置で元の走行車線に戻り始めたと考えることは不合理であり、被告車はこの時点までにハンドルを切つていると考えるのが合理的で、それは「道路の曲折に応じてハンドルを切つた」、すなわち電柱付近ですでにハンドルを切つていると考えるのが合理的な推論である。センターラインをまたいで走つていた被告車は、電柱付近からハンドルを切つて元に戻ろうとしたか、<4>の位置から急に元に戻ろうとしたか、のいずれかでしかありえない。百歩譲つて考えても、対向車線から<4>の位置まで戻つてきたものであり、この段階から元の車線に戻ろうとしたものではないことは明らかである。すなわち被告山中の供述を前提にし、被告車は電柱付近でも完全に対向車線にいて、<4>付近の位置まで完全に対向車線にいたとすれば、すでに電柱より手前で一度ハンドル切つていなければならず、さもなくば被告車は道路外に逸脱していることになる。そしてそれから<4>の付近でもとの車線に戻ろうとしたならば、ハンドルは二回にわけて操作されなければならない。以上本件全証拠を検討した結果の合理的認定は、右実況見分調書のとおり、被告車はセンターラインをまたいだ状況で原告車を追越し、電柱付近から<4>にわけて道路の曲折にあわせ一連の動作としてもとに戻ろうとしたと考えられなけばならない。この場合の被告車の軌跡は、別紙図面(三)のとおりである。被告山中は、電柱をすぎた地点でハンドルを切つた旨、それまでは完全に対向車線を走つていた旨主張するが、以上で明らかなとおり右二つのことは両立せず、およそありえない事実を主張しているというべきである。

(四) 刑事判決の認定について 乙第一号証刑事判決は、被告車は元の走行車線に徐々に緩やかな進入方法しかとれなかつた旨及び両車の速度差から双方の距離は離れるばかりで追越された後の原告車にとつて進路前方の危険感はなかつた旨認定するが、右刑事判決の認定・結論には疑問がある。

まず、乙第一号証刑事判決の認定した事実を詳細に図示すると、別紙図(五)のとおりとなるが、右図面から明らかなとおり、被告車の進入角は、原告走行方向からみて、平均値で14度となり進入それ自体緩やかとはいえない。また、図面(五)の<4>橙色の被告車位置から青の被告車位置まで〇・六秒を要するが、この間被告車は原告走行車線進行方向からみれば、約一・二強メートル走行車線に割込んできている。原告からみれば秒速約二メートル強(時速七・二キロメートル)のスピードで被告車の後尾は左方向に振つてきたのである。これは実に人間の小走りのスピードである。被告からみれば(進行方向の道路からみれば)急激とは言えないとしても、原告からみれば急激な、それもかなり急激な「かぶせ」になるのである。右刑事判決の緩やかな進入であつたとの認定は、直観的に現場の曲折はゆるやかと考えて曲折の及ぼす影響についての検討がなされなかつたことと、大型車における内輪差についての検討がされなかつた結果生じた、見落しである。右かぶせ現象は自動車運転を日常頻繁にしている者にとつては(例えば原告代理人でも)極めて常識的な運転感覚として理解できることであるが、右詳細な検討は右感覚を裏づけている。右刑事判決の認定した事実を前提に考えてさえも、被告車が緩やかな進入をしたということはできないのである。

次に、図面(五)において被告車が橙<4>の位置であつたときの原告の位置がAで、その間の距離は二・五メートルである。その後、被告車が赤の位置に進行した場合の原告の位置がBであるが、その間の距離は二・五メートル弱である。実に離れないばかりか、近づいているとさえいえるのである。両車の速度差から両車の距離は離れるばかりであつた旨の右刑事判決の認定は、事実に反するというべきである。これも現場に曲折があること、大型車には相当の内輪差が生ずることの検討がなされなかつた結果生じた見落しである。常識論のおこしやすい錯覚である。

ここで原告の供述を想起すべきである。原告は「右肩によつてきた」「前をふさがれる」ような気がした、「もう目の前でした」旨供述するが、右供述は乙第一号証刑事判決の事実認定を前提にして検討した結果にさえ、いかに整合しているか注目されたいのである。

(五) 原告は、「センターラインをまたいで追越してきた被告車が、電柱付近から道路曲折に応じてハンドルを切ると同時に、もとの走行車線に戻ろうとした」のが事実であると主張するものである。右主張を詳細に図示すると図面(三)及び図面(六)のとおりとなる。右図で明らかなとおり、電柱付近では被告車は原告走行の路端五〇センチの位置から七〇センチ程度まで後尾をふり、原告車をふさぐ形となつている。原告車が追越された後、原告車と被告車との間隔は一・八メートル、一・五メートルと原被告車の進行に従つて近づいてくるのである。右詳細な検討の結果は、一見奇異に見えた、原告の当初からほぼ判断力を失つている現在に至るまでの一貫した供述と驚くほど整合する。事実の重さが示されたといえる。被告山中の一回ハンドルを切つたとの供述は、右検討と一致し真実がもれたという外ない。

以上の検討結果から、原告主張事実からはもとより、乙第一号証刑事判決の認定事実を前提にしてさえ、被告車の運転は原告に対し恐怖をあたえたことは明らかであり、およそ被告車に過失が存しないとすることはできないことが明らかになつたというべきである。

第三証拠〔略〕

理由

一  本件事故

昭和五五年七月三日午後四時四五分頃、三重県鈴鹿市道伯町二二五八番地先県道上で、原告運転の原告車が転倒したことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実、成立に争いのない甲第一〇号証ないし第一三号証、第一五号証、乙第二号証及び第三号証(後記認定に反する部分を除く)、第五号証、原本の存在・成立に争いのない甲第二〇号証、証人岡田千代子の証言により真正に成立したものと認める甲第三号証の一、本件事故現場付近を撮影した写真であることに争いのない同号証の二、五、六、甲第八号証の一ないし三、証人岡田千代子の証言により、昭和五六年八月二〇日原告を撮影した写真であると認める甲第一六号証、原告が六五歳夏のときの写真と認める甲第一七号証、原告が六六歳新春のときの写真と認める甲第一八号証、証人岡田千代子の証言、原告及び被告各本人尋問の結果を総合して考えると、被告山中は、昭和五五年七月三日午後四時四五分頃、普通貨物自動車(被告車)を運転し、歩車道の区別がなく、東側には幅〇・四メートルの側溝が設置された、幅員五・二メートル(片側二・六メートル)の県道三行庄野線を三重県鈴鹿市平田町方面から同市稲生町方面に向つて進行中、同市道伯町二二五八番地先付近において、道路左側端から約五〇センチメートルのところを同一方向に向つて時速約三〇キロメートルで進行中の原告運転の原動機付自転車(原告車)を追越したが、同所付近では右県道は歩車道合せて片側幅員二・六メートルしかなく、追越しのための右側部分はみ出し禁止の規制がなされ、最高速度も時速三〇キロメートルに制限されていたから、このような場所ではおよそ制限最高速度で走行している原告車を追越すべきではなく、またあえてこのような追越しが不適当な場所で原告車を追越す場合には、同所付近で道路が少し左に曲折していること、原告車が全長約八・四五メートル、車幅約二・二メートルの大きな貨物トラツクであり原動機自転車の運転者に対して強い圧迫感を持ち、追越の最終段階で元の走行車線に戻るため左にハンドルを切つた時には相当の内輪差が生じる事実を十分認識し、原告車との間に十分な間隔をとり原告の安全を十分確保してこれを追越すべき注意義務があつたのに、右注意義務を怠り、追越の最終段階で、原告車を追抜き左にハンドルを切つて元の走行車線に戻るに際し、被告車を著しく原告車に接近させて原告に被告車との衝突轢死の危機感・恐怖感を生ぜしめ、その結果原告をして左転把、側溝への落下、転倒を余儀なくさせたことを認めることができる。乙第二号証及び第三号証(実況見分調書)は、右両調書間において被告山中が指示説明した追越終了地点に六・一メートルの差異があるほか、原告の立会いのない状態で、同被告の一方的指示説明に基づいて作成されたものであるから、右各号証中前記認定に反する記載部分は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

被告らは、本件事故は、原告が六七歳という高齢で、しかも僅か二年前に単車の運転免許を取得したばかりという運転技術未熟の状態にあつたにもかかわらず、二輪車では危険な時速約三〇キロメートルという高速で側溝から約四〇~五〇センチメートルのところを走行したため、自らハンドル操作を誤つた過失により、側溝に落ちて転倒したものであり、被告車の進行とは関係のない原告の全くの自損事故である旨主張するが、右主張は、冒頭掲記の各証拠、特に甲第一〇号証ないし第一三号証並びに原告は昭和五三年六月に原付免許を取得して以降本件事故当日まで約二年間週に四、五回友人宅に赴くために原告車を運転して本件事故現場付近道路を時速三〇キロメートルで走行していたが事故を起したことがなく、道路面にも瑕疵は認められず、原告は事故当時六七歳という高齢であつたが全く健康で体に異常はなく、しかも剣道五段で運動神経が発達しており、原告が他からの影響を受けないのに自ら運転を誤つて側溝に落ちて転倒するとは考え難い反面、被告車が追越しのための右側部分はみ出し禁止の場所で原告車を追越した直後に原告車が側溝に落ちて転倒した事実及び被告車に追尾して走行していた中川和夫は原告車転倒直後にクラクシヨンを鳴らして被告山中に原告転倒の事実を知らせたところ、これを聞いた同被告は原告車転倒直後に停車したこと(右各証拠により認定)、右停車等の事実から右中川及び被告山中は被告車の原告車追越し方法に危険を感じていたと推認できること等に照らし、とうてい採用できない。

二  被告らの責任

被告会社が、本件事故当時被告車を所有していたことは当事者間に争いがない。右争いのない事実及び成立に争いのない甲第一三号証によると、同被告は、本件事故当時、自己のため被告車を運行の用に供していた事実を認めることができる。

以上認定の事実によると、被告会社は自動車損害賠償保障法三条に基づき、被告山中は民法七〇九条に基づき、それぞれ原告に生じた損害(被告会社は人的損害)を賠償すべき義務がある。

なお、成立に争いのない乙第一号証(判決謄本)及び弁論の全趣旨によると、被告山中は本件事故に関する業務上過失傷害被告事件について鈴鹿簡易裁判所で無罪の判決を受け、右判決は確定した事実を認めることができるけれども、第一項の事実が認定される以上、被告らが原告に対する損害賠償責任を負担しなければならないことに変りはない。

三  損害

1  受傷

成立に争いのない甲第一号証、第八号証、第九号証、乙第五号証、証人岡田千代子の証言によれば、原告は本件事故によつて頭部外傷・顔面挫創・背部打撲傷・頸髄損傷・第Ⅲ頸椎脱臼・右前腕打撲挫創の傷害を受け、昭和五五年七月三日(事故の日)から現在に至るまで、常時看護を要する状態のまま、鈴鹿市長谷川外科(医師長谷川泰造)に入院、治療を受けているが、頸髄損傷・頭部外傷及びそれに起因する脳萎縮により、受傷後約一か月後から性格・感情に異常が生じ、現在、四肢の運動麻痺及び硬直性・けいれん性の運動失調、歩行障碍、知覚障害、食餌及び排便・排尿等日常の所作に常時介助の必要、記銘力減退、感情の激変、性格の変化等の後遺障害を残しており、介助者が介助に困惑する程に重篤である。なお、右症状固定は昭和五六年一二月一三日(本件事故発生から五二九日目)と診断された(甲第一号証)。

2  損害金額

右傷害により原告が被つた損害金額は次のとおりと認める(但し、治療費を除く)。

1  症状固定日までの財産的損害

(一)  入院雑費 三一万七四〇〇円

一日当り六〇〇円として五二九日分

(二)  入院付添費 一五八万七〇〇〇円

一日三〇〇〇円として五二九日分

(三)  休業損害 二一六万八九〇〇円

証人岡田千代子の証言によれば、原告は本件事故当時健康で、労働能力を有し、かつ労働の機会さえあれば収入を得ることができたことが認められるが、六七歳という年齢を考慮し、症状固定日までの原告の休業損害は、賃金センサス、昭和五五年・年齢階級別きまつて支給する現金給与額、所定内給与額及び年間賞与、産業計、企業規模計、一八~一九歳男子労働者平均賃金年額一五〇万〇七〇〇円の一日平均四一〇〇円の五二九日分二一六万八九〇〇円と算定する。

2  後遺障害による財産的損害

(一)  介護料 一一一〇万八七五六円

前記認定の原告の後遺障害の程度(排便・排尿等日常の所作に終生、常時介護を要し、悪化の傾向にある)に鑑みると、その介護費用は少くとも一日当たり三五〇〇円と認めるのが相当である。そして、原告は症状固定時六八歳八月であつたから、原告の症状固定時からの原告の生存期間は平均余命年数を考慮して一二年と認めるが、これは本件事故日からみると一三年半ということになるからホフマン係数を適用して右一二年間の介助料の事故日現在の価格を算出することとするが、その係数Xは次の計算により八・六九五七とする。

A 一年半の係数≒一年の係数〇・九五二三×一・五=一・四二八四

B 一三年半の係数≒一三年の係数九・八二一一+(一三年の係数九・八二一一-一二年の係数九・二一五一)×1/2=一〇・一二四一

X≒一〇・一二四一-一・四二八四=八・六九五七

そうすると、右一二年間の介助料の事故日現在における価格は次の算式により一一一〇万八七五六円となる。

三五〇〇円×三六五×八・六九五七=一一一〇万八七五六円

(二)  逸失利益 七二二万七六七一円

原告は本件事故により労働能力の全部を喪失したところ、症状固定時以後の就労可能年数は六年と認め、原告の年齢を考慮し前記男子労働者平均賃金年額一五〇万〇七〇〇円を基準に右逸失利益を算定するのが相当と考え、右逸失利益の事故日現在の価格をホフマン係数により算出する係数Zを次の算式により四・八一六二とする。

A 一年半の係数≒前記一・四二八四

C 七年半の係数≒七年の係数五・八七四三+(七年の係数五・八七四三-六年の係数五・一三三六)×1/2=六・二四四六

Z≒六・二四四六-一・四二八四=四・八一六二

そうすると、右六年間の逸失利益の事故日現在における価格は次の算式により七二二万七六七一円となる。

一五〇万〇七〇〇円×四・八一六二=七二二万七六七一円

3  慰藉料 一三〇〇万円

前記認定の原告の受傷内容、治療経過、後遺障害の内容及び程度を考慮すると、原告が本件事故によつて被り、また将来にわたり被つていくであろう精神的損害に対する慰藉としては一三〇〇万円が相当と認める。

四  過失相殺

第一項冒頭掲記の各証拠によると、被告車が原告車に接触して物理的に原告車を転倒させたわけではなく、いかに原告車の接近があつたからといつて、原告が転倒した直後の原因は、接近した被告車への恐怖の余り誤つて左へハンドルを切り過ぎて側溝に落下したこと、原告が、追越を開始した被告車の進行に注意し、互譲の気持を持ち、適宜減速する等の措置を講ずれば、容易に本件事故を回避しえたのに、自己が非常に危険な原動機付自転車に乗車している立場を認識せず、被告車の追越行為を無視して、漫然、時速三〇キロメートルで走行していたこと等原告にも過失が認められるから、原告に対する被告らの損害賠償金額を算定するに当たつては右過失を斟酌して、前項の損害金合計額の五割を減額し、残額五割に当る一七七〇万四八六三円を賠償金額とするのが相当と認める。

五  弁護士費用 四五万円

弁論の全趣旨によると、原告は本件訴訟の提起・追行を原告訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として少くとも四五万円以上の金員の支払を約しているものと認められる。本件事案の性質、審理の経過、判決認容額その他諸般の事情を考慮すると、被告らに対し賠償せしめるべき原告負担の弁護士費用は四五万円と認めるのが相当である。

六  損害の填補及び弁済

原告が自動車損害賠償責任保険から一一七九万円を受領したことは当事者間に争いがない。そして、弁論の全趣旨によると、本件事故に関し、原告は、右一一七九万円の他に、自動車損害賠償責任保険から一二〇万円を、被告らから三〇万円をそれぞれ受領したことを認めることができる。

七  以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、被告らに対しそれぞれ四八六万四八六三円及び右金員のうち四四一万四八六三円(弁護士費用を除いた分)に対しては昭和五五年七月三日から、四五万円(弁護士費用)に対しては本判決言渡日である昭和五八年九月三〇日から、各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 庵前重和)

別紙図面(一)

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別紙図面(二)

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別紙図面(三)

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別紙図面(四) 略

別紙図面(五)

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別紙図面(六)

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